入試改革の犠牲者は誰か?

先日、大学入試の民間試験からTOEICが離脱して、英語教育界隈が大騒ぎになっておりました。
そして今朝のニュースでは「7割の高校が延期すべき」としていると伝えています。

[blogcard url=”https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190909/k10012072461000.html”]

というか、そもそも「英語教育の効果」について真剣に考えている人達(研究者のみなさん他)は、今回の入試改革の効果については懐疑的です。
その上、経済格差が入試にダイレクトに効いてくる上、どうしても受験地が都市部に偏りますので、地理的な格差も生まれる可能性が高いぞ、と。
 
福岡県でも、福岡市内・北九州市内の高校生と、大牟田市、田川市の高校生とでは条件が違いすぎますが、北海道の札幌市と、帯広市なんて、もうどうなんだって感じです。
 
こういう格差というよりも、不平等というのは、絶対に考えなければなりませんよね。できるかぎり平等・公平になるように。
 
ただね、「今の高校2年生は生け贄か?」的な意見はどうなんだろうなーという感じです。
あと「課題が解決されるまで実施を延期すべき」って何なの、と。課題なんて永遠に解決するわけないじゃんって。(笑)

 
今の高校2年生が中2の時から、こうなることは分かっていたんだから、入試がどうあれ、どうとでも対処できるだけの準備をしておけば問題なかったわけですよ。
 
センター試験が導入された時だって、共通一次が導入された時だって、センターにリスニングが導入された時だって、ゆとり教育が導入された時だって、、、いつだって転換期というのは、ある意味で割を食う人が出ます。
 
ただ、そこで文句を言う人と、淡々と自分なりのサバイバル能力を発揮して乗り切る人といるわけです。
不公平・不平等ができるだけ生まれないように、為政者に対してもの申すのは大事。
 
でも、どうなったってクールにサバイバルするだけの覚悟はもっと大事だと思うわけですよ。
 
経済的不平等っていう部分にしてもさ、もう30年どころではない以前から、金持ちと庶民との間の入試格差なんてあったわけですよ。
今回のような「新たな制度によって不公平が生まれる」というのは、分かりやすい話なので、文句も出やすいとは思うんだけど。
 
でもね、そもそも一年で一番寒い季節に入試をやるってのは、寒さに病的に弱い人にはすごく不利なわけですし、朝早くから入試ってのは、夜型の人には不利なわけですし、今まで「制度がそうなんだからしゃーない」と諦めてきた人達だって、ごまんといるわけで。
 
 
それよりも何よりも、私が一番問題だと思うのは、入試を変えないことで、現場の大多数の先生たちが授業のやり方を変えず、本当に必要な英語力をつけることなく卒業させられてしまう若者たちの存在だと思うワケです。これまでにも散々書いて来たことだけど。
 
入試云々というよりも、学校の先生の資質なんですけどね。私が問題にしたいのは。お役所仕事を何とかしてくれよ、と。少しは科学的な教育手法を学ぶとか、広い世界で何が起こっていて、どんな能力が求められているかとか、そういうことを知る努力をしてくれよ、と。
 
 
入試を変えないと現場は変わらない。
現場が変わらないことのリスクの重大さを、私は一番危惧してます。
その犠牲者は、ゆとり世代のように、将来世界に打って出る若者たちなんですよ。
 
分かりやすい不公平・不平等の陰に、見えづらい不公平・不平等があるってことにも目を向けつつ、もっと大きなテーマである「日本の未来を、教育の力でどう変えていけるのか」「日本の若者たちの未来に対して、我々大人はどういう形で責任を背負えばいいのか」ってことに、もっと建設的に目を向けていきたいものです。

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フォーカス・リーディング主宰者

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