秋は深まるが、春や夏が深まらないのはナゼだ?

私の高校の後輩で、おもしろい小説をネットで発表し続けている女性がいます。
 
ものの見方や言葉のもてあそび方が独特で、時間がないのについつい読まされてしまいます。
 
 
その彼女が、「秋が深まる」という言葉について、こんな風に書いているんですね。

秋が深まっている。
全くもって本当に感心させられる。
秋が 深まる というこの表現 誰が考え付いたんだろうかと思う。
初めにこの表現を使った人を私は抱きしめたい。
by 小堺ラム

確かに「深まる」って表現、なかなか味わいがありますよね。
 
英語だと「Fall is in full swing.」(秋がたけなわだ)。
これは春夏秋冬関係なく使えるようです。
 
日本語だと「深まる」のは秋だけなんですよ。
 
 
あまり普段意識しないかも知れないのですが、この「深まる」は比喩表現です。
(断言してますが、違ってたらごめんなさい。)
 
だって、秋という季節には物理的な深さがありませんからね。
 
では、秋が深まる場合、どういうイメージ、ニュアンスをともなった比喩なんでしょう?
 
「深まる」という言葉を使いそうな主語・述語を思いつくままに並べてみますと…

  • 友情が深まる。
  • 愛が深まる。
  • 思考が深まる。
  • 理解が深まる。

どれも薄かったものが徐々にその色合いを濃くしていくようなニュアンスを含んでいます。
 
夏は、梅雨が明けたら一気に夏空が開け、「夏、到来!」というイメージ。
その後は気温は上がりますが、何かビジュアル的に季節の移ろいを感じさせるものはあまりありません。
 
春は徐々に暖かくなってきますが、身体で感じる温度と、視覚的に春の色彩のあまり一致しません。
サクラが咲き誇り、あるいは菜の花畑が黄色と黄緑の鮮やかな輝きを放ちだした頃に、風は冷たいけど、すっかり春だなーとなり、少し遅れてほかほか陽気になってようやく「春爛漫」となります。

冬も冷え込みが強くなることで「もう冬だ」と感じますが、そこから随分と時間が経ってから冬を象徴する「雪」が舞い降り、地域によっては「蜘蛛の子(雪迎え)」が飛んでくるという体験でもって「あー、もうすっかり冬なんだね」って実感するわけです。
 
秋も、その到来は風の涼しさや虫の声で感じますが、晩秋の、季節の進行が植物、とりわけ「紅葉」という色彩の変化とシンクロしていきます。
おそらく、「深まる」という表現は、もともと「紅葉の色彩の深まり」を象徴的に使っているんでしょうね。色は「深い」っていいますから。
 
 
これはあくまで私の考察、仮説に過ぎませんが、こういう「言葉の輪郭」とか「言葉のイメージ」を探るのって、面白いと思いませんか?
 
他の言葉と比較したり列挙したりすることで、何気なく使っている言葉のニュアンスがより鮮明になります。
「理論と論理」、「配分と分配」とか。「キレイと美しい」、「かわいいときれい」とか、「おざなりとなおざり」とか。
 
こういう言葉の感覚って、いろいろな文学作品をたしなむことでしか身につきません。
 
子ども達には、エンタメ小説をすいすい読めるようになってきたら、文学作品にも挑戦させていきたいものですね。
たくさんの文脈で言葉を体験していくことで、言葉に奥行きが生まれていくものです。
 
大人のあなたが、こういう表現について学びたいと思ったら、こちらをどうぞ。
 
 
 
表現することをお仕事にする方は、ぜひ手元に置いておきましょう。(^^)

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フォーカス・リーディング主宰者

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