大学入試なんていう、超メジャーな試験に「記述式」というファジーなものを導入すると何が起こるのか?
2020年、東京オリンピックに向けて国全体が盛り上がっていくのと無関係に、これまた2020年に向けて、壮大な実験が、業界人と当の学生さん達の人生を巻き込みながら着々と進められています。
私はこの実験、大賛成ですよ。えぇ。
教育改革を進めるには、それくらいやらないとダメだって思います。
もちろん、理想は教育現場が自ら変わっていくことですが、それには校長が相当な切れ者でないといけませんし、その上、公務員体質の先生達を強烈なリーダーシップとマネジメント能力でもって変えていかなければなりませんからね。
はっきりいって、それは絶望的です。
だから記述式万歳、と。
それについては、過去に記事で書いたとおりです。
[blogcard url=”https://www.kotonoba.jp/column/reform-of-college-board/”]
ただ、実際問題として、記述式の問題が採用するとなると「問題をどう作るのか」、「それに備えた指導をどうするのか」、「採点をどうするのか」という、ざっくり3つのポイントで問題が生じます。
そのうち、今回「採点をどうするのか」という問題について、「学生が志願した大学で採点する」という案が有力視されている、との報道がありました。
そのメリットとして次のような説明があります。
- 選択式の問題と記述式の問題の採点を分離する。
- 記述式部分を受験生の出願先の大学が採点する。
- 2次試験までに採点することで時間に余裕ができ、出願方法も多様になる。
まぁ、確かに「楽に」はなりそうですが、普通に考えれば「でも、なんか妙だよね」って話になりそうで…
それは負担を国立大学に押しつけているだけのような気が…
もし、採点基準を「大学に任せる」としたら、「出願された前期試験の大学に」ですよね?
「センター利用入試」の私立は、国立大学で採点したデータを受け取るのでしょうか?
大学によって採点基準が変われば、「私立狙い」の学生さんは、「どの大学が記述式の点数を甘く出すか」を分析して、そこを前期受験として狙うなんてこと、起きませんかね?
国立大学だと、そういう採点が面倒だと思ったら「うちは記述式部分を受験する必要はありません」とかなりませんかね?
だって、どうせ大学独自の試験で記述式のような問題を課してるんですから、わざわざもう1つ、自分たちの意図と無関係の、しかも負担の大きな試験(採点)を抱え込むメリットってありませんよね?
選択式と記述式を分離しなければ、それでも「だったら国語そのものが不要です」とか言っちゃいそうですし。
生徒が受験して、記述式も受けたんだけど、出願する大学が結局、どこも記述式不要ってことになりましたってなったら、誰が採点するのでしょう?
ひょっとして、鳴り物入りで採用された記述式が、ほとんど利用されずに終わるなんて悲しい結果はありませんかね?
「一部の学生しか記述式を利用しない」となると、結局、受験対策として「必要な人だけ学べ」ってことになりませんかね?
というかそもそも、いつの時点で受験する大学を決定するんでしょうね?
今までだとセンター試験の結果を踏まえて検討会をして、それで2次の出願先を考えていたと思うのですが、それができなくなる?
できるとしたら、その後、記述式の答案を選り分けて、各大学に送付する?
なんだかすごく面倒なことになりそうで・・・。
さて、この後、大学入試の問題。
ちゃんと本丸である「高校教育改革」にまで行き着くのでしょうか。
ちょっと気になりますね・・・。