タブレット学習は、子どものどんな力を創っていくのか?

メディア論についての、ある本の序論に、こんな言葉があります。

「私たちは自分たちの必要に合わせてメディアを形作る。
 しかるのち、メディアが私たちを形作る」

親世代は学校教育や日常生活の中で培った能力の上に、
タブレットという新しいツール、ネットという新しいメディアを使います。
 
しかし、子ども世代は「タブレットを使う」ことの上に、
様々な能力を培っていくことになります。
 
例えば、うちの小学校4年生の息子も、
何かを調べたいときは、すぐにタブレットで検索します。
 
タブレットで調べるということは、
そのままインターネットを使うことと同義であり、
タブレットというツールの特性と
インターネットというメディアの特性が、
それを使う人達の行動を規定することになります。
 
きっと、彼ら若い世代は、
私たちと全く違う行動様式、思考様式を
育んで大人になっていくんだろう、なんて思います。
 
 
社会に出ても、何らか「調査する」ことは
日常茶飯事です。
 
その基礎が学校教育で養われていることを
当然期待しています。
 
指導する側、親・教師は
書籍、百科事典などを使って調べ物を経験した世代。
 
書籍という、
気を遣うべきことは多々あるにせよ、
少なくともある程度の信頼性が担保された
メディアを使うこと。
 
図書館などで書籍群を俯瞰し、
スキャニングしながら書籍を選び取ること。
 
複数の情報を比較すること。
 
著作者を確認すること。
 
そういった、ちょっと面倒だけども
何かを調査したり、学習したりする上で
大切なことを経験しています。
 
インターネットを使って調べ物をすることの
便利さも感じつつ、その危うさも
ある程度は認識できます。
 
もちろん、それを理解していない、
リテラシーに欠ける大人が大勢いることも確か。
 
しかし、最初から便利で手軽で、
自分の狙ったキーワードで出てきた結果から
ピックアップするだけのメディア、ツールしか
体験していないとしたら、
さてはて、どういうリテラシーが育つのか?
 
確かにタブレット学習、
すなわちネットを活用した調査や、
クラウド化されたビッグデータを活用した
ICT教育は便利かも知れません。
 
しかし、それによって育つ子ども達の能力が、
私たちがこれまでに経験してきたそれと
まったく異質なものになることは想像に難くありません。
 
そして、それがどういうものなのか、
今のところ、まったく想像が付きません。
 
特に現在の日本の教育では、
論理的思考も、情報リテラシーも
重視されていませんからね!
 
 
恐らく30年経って、世代が1つ移ってしまったら、
新しいリテラシーが形成されていて、
新しい学び(調査)の文化が形成されていることでしょう。
 
問題は、その狭間に育つ、
今の小中学生ですね。
 
子ども達は、
タブレット学習、
タブレットでの検索、
タブレットでのゲーム…という具合に、
インターネットありき、タブレットありきで
事を済ませることに慣れています。
 
一方、指導する側にいる大人は、
インターネットの限界、
インターネットならではのメリット、
それを踏まえたインターネットの活用法と
紙媒体メディアとの複合・融合的活用法を
十分に体系立てられているでしょうか?
 
 
グーテンベルクの活版印刷発明によって
「石から紙へ」という情報伝達の大激変を起こし、
それによって学び方、考え方が大激変しています。
 
※石=教会をさす比喩
 
このときも、恐らく大きな混乱、
世代間ギャップがあったことでしょう。
 
今「紙から電子へ」という大激変を起こしつつある今、
単に紙に書かれているものが、
タブレットの画面に映るようになったと
単純に考えてはなりません。
 
そこで起こるであろう
行動の変化、思考の変化、
手続きの変化、文化の変化を
十分に予測し、それに見合うリテラシー教育を
していかなければなりません。
 
それが十分に準備が出来ていないのであれば、
当面、かたくなに「学習はすべて紙でやる」という
スタンスを貫いてもいいのかも知れません。

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この記事を書いた人

フォーカス・リーディング主宰者

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