子どもの貧困、1学年の子どもだけで4兆円の損失!⇒だから?

昨日の日経新聞オンライン版(速報)で「子どもの貧困」に関する、こんなニュースが掲載されました。

日本財団は3日、貧困家庭の子供を支援せずに格差を放置すると、現在15歳の子供の1学年だけでも、社会が被る経済的損失が約2兆9千億円に達するとの推計を公表した。政府には、約1兆1千億円の財政負担が生じるとしている。

以前、子どもの貧困を止めるために「親として」どうすべきかという話を書きました。

[blogcard url=”https://www.kotonoba.jp/blog/against-poverty/”]

親としては時代が変わったことを認識し、子どもにサバイバル能力を身につけさせましょう、という話です。
 
今回の日経の記事は、その貧困が「社会」にどういうインパクトを与えるのか「金額」という分かりやすい指標で解説しています。
 
子どもの貧困に対して、社会が負担する金額というのは、こんな内容です。

  • 子どもが中卒・高校中退・高卒で終わった場合と、それ以上の学歴に改善された場合の生涯賃金の差
  • その人達が納める税金と、その人達に支給される社会保障費の差引額

15歳の1学年だけで4兆円ですからね。
なかなかインパクトのある数字です。
 
試算を発表した日本財団は、同時に「教育格差の解消に向けて対策を進めるべきだ」と提言しています。

えっ?
 
損得勘定で教育のことを語っちゃうわけ?

── ひょっとすると、そんな風に思うかも知れません。

ですが、もともと社会福祉ってのは、ドイツの鉄血宰相ビスマルク以来「貧困を放置するより、消費者として育てた方が割に合う」という社会的なメリットからスタートしているんです。
 
国家政策としてどうするかというのは、あくまで「国家予算」という限りある資源の配分の問題。そこには当然「割に合う」とか「リターンがより大きくなる」という勘定がなければなりません。
 
誰もが人として尊厳のある生き方を実現しましょう!という理念の問題も重要なのですが、そこに実利あるいは確かな効果が伴わないと絵空事の空虚な話で終わるんです。
 
 
この子どもの貧困対策を!という話は理念の点からも、経済的な点からも納得感の高い話に聞こえます。
 
しかし、「では予算を、教育にどう使うか」というのは、非常に難しい問題です。
 
例えば毎年のように文科省と財務省がもめる「少人数学級への予算」の話。
予算をカットしたい財務省は教師が多すぎると言い、文科省は少人数学級の効果を語ります。
 
これはどちらの言い分が正しいか?
 
これも、国家の政策としておこなう以上、経済的な効果で図るしかありません。
 
教育現場の実感として「少人数学級はきめ細やかに指導ができて成績が向上する」と、先生方は誰しも異口同音に語ります。でも、経済学的な分析から見れば「少人数学級は割に合わない」のです。
 
2015.02.13付け日経新聞朝刊の「経済教室」というコーナーに、乾友彦学習院大学教授と中室牧子慶應義塾大学准教授による次のような話が掲載されています。

少人数学級については、米テネシー州ではSTARプロジェクトをはじめ、複数の大規模な社会実験による検証が存在する。これらの結果によると、少人数学級は子どもらの学力を上昇させる因果効果があるものの、決して費用対効果の高い政策とはいえないことが示されている。
ノーベル賞経済学者である米シカゴ大学のジェームズ・ヘックマン教授は、1学級あたり5人の生徒を減少させる少人数学級は、高卒労働者の生涯賃金をむしろ減少させるという推計を発表(後略)

この「教育投資の経済効果」については、中室氏による著作『「学力」の経済学』にデータ付きで紹介されていますので、興味がある方は読んでみてください。(P.113から少人数学級の話が掲載されています。)
ちなみに内容は「ご褒美で釣って勉強させてもいいの?」「ご褒美を出すなら、テストでいい点を取ったとき? 本を読んだとき?」、「テレビの見過ぎ、ゲームのし過ぎは、子どもにどう影響するのか」といった家庭教育にまつわる問題から、「習熟度別クラス編成は成績にプラスになるか」、「少人数学級はどうか」といった教育行政・学校教育にまつわる話まで、幅広く「教育・学力」にまつわる都市伝説について、教育経済学という手法でもって科学的な答えを提示しています。
読み物としてもすごく面白い上に、教育にも役に立つ話が満載です。(^^*

ですので、「子どもの貧困を放置していたら、国家的、経済的に大きな損失になる」だから「だから教育行政にお金をかけよう」と、ここまでは間違いありません。(日本は教育にお金をかけなさ過ぎですので…)
 
が!
 
「では、どこにどうお金を投じるか?」というのは、まったくもって別次元の大問題です。
 
少人数学級の例でいえば、これは「廃止」が正解。
そして「もっと効果の高いところに予算を配分しよう」にならなければなりません。
 
でも、ここが難しいところ。「効果の高い」がなかなか分かりません。
 
分からないことをいいことに、あたかもすごい効果があるかのごとく、国や地方の予算を食い物にする政策が次々に打ち出されます。
 
最近なら、
「生徒一人に1台タブレットだ!」
「デジタル教科書だ!」
「ICTだ!」
そんな話。
 
それは間違いなく、「教育の効果」よりも「自分の懐が潤う効果」だけを見ている業者、役人、政治家のアイアントライアングル(鉄の三角形)のなせる技。
 
私たちは、「我が子のためになるなら」という親としての切なる想いをうまく利用され、踏みにじられながら税金をじゃぶじゃぶ使われている…かも知れないわけです。
 
 
私も、人が誰しも、その人らしく生き生きと自分らしく活躍してこそ、豊かな社会が実現することを確信しています。
 
しかし、だからといって「教育のジャブジャブお金を!」というのは反対です。
 
国の政策としてできることにも、学校の教育システムとしてできることにも限界があることを理解した上で、親と先生が「私個人の問題・責任」として子どもに関わるしかないというのが、今のところの私の意見です。
 
もちろん、そういう親と教師の思いを支援するような国のサポートは求めていきたいところです!

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この記事を書いた人

フォーカス・リーディング主宰者

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