今、世間でちょっと話題のアクティブ・ラーニングとは何か?
アクティブ・ラーニング(能動学習)という言葉が、ここ1、2年ほど新聞報道に出てくるようになりました。
先生からの一方的な教授ではなく、テーマについて学生自らが調査し、意見をまとめ、報告したり討議したりするという学習形態です。
次期学習指導要領の下、2020年から段階的に実施されることになっています。
もともと大学での学習形態として注目されてきたもの。大学生ともなれば、自分で資料をひもとき、論文として整理し、プレゼンテーションをする能力が求められます。というか、できて欲しいものです。
そして、これを小・中・高で採用しようという話が進んでいます。
「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について」という中央教育審議会による諮問では、次のように語られています。
「何を教えるか」という知識の質や量の改善はもちろんのこと,「どのように学ぶか」という,学びの質や深まりを重視することが必要であり,課題の発見と解決に向けて主体的・協働的に学ぶ学習(いわゆる「アクティブ・ラーニング」)や,そのための指導の方法等を充実させていく必要があります。
その前提はこういう発想。
基礎的な知識・技能を習得するとともに,実社会や実生活の中でそれらを活用しながら,自ら課題を発見し,その解決に向けて主体的・協働的に探究し,学びの成果等を表現し,更に実践に生かしていけるようにすることが重要である
これは確かに重要なことです。まさに日本の教育に最も欠けている要素であり、何とかすべき問題であるという意見には同意します。
アクティブ・ラーニングの何が問題なのか?
確かに重要かも知れません。が!
それを小学校時代にやるのがどうなのか、という話です。
物事には「順序」というものがあります。
このブログでたびたび登場する「Uプロセス学習理論」で考えると、アクティブ・ラーニングはUのカーブの右下にあたります。ここは学習プロセスでいうと「アクティベーション」と呼ばれる領域なんです。まさにActive!
それはその前段階で「型にはまった練習・学習」や「知識の精緻化」があって成り立つものです。
- 「課題の発見と解決」という前に、問題の所在を調査する能力はあるのか。
- そこから浮かび上がってきた点を線として結びつけていくだけの思考力や、それを裏付ける情報はあるのか。
- 思考を深めたり、仲間と議論したりするための論理的な思考力はあるのか。
- そもそも、それらを指導するノウハウと力量を小学校の先生(の大多数)が持ち合わせているのか?
諮問には「基礎的な知識・技能を習得するとともに」と明記されてはいますが、そういう「基礎・基本」をどう作るのかということまで、ちゃんと議論されているのか気がかりです。
アクティブ・ラーニングに対する西日本新聞の論説
これについて、今日(2015.11.30)の西日本新聞朝刊は「能動的学習って何だろう」という社説(「論説委員の目」)で、前半ではやや批判的風な視点を提示しつつ、〆の段落で能動学習の公開授業を参観した上で、こう評しています。
子どもたちの話し声が大きくなり、合間に笑い声や歓声が響く。実に楽しげだ。
(中略)
・・・それが「いい授業」かどうかは、子どもたちの表情が教えてくれる。
確かに、それで学べることもあるでしょう。
子ども達に「なんとなくアクティブに学習している雰囲気」を味わわせても、笑顔になるでしょう。
完全にデジャブ。
実は同じ光景を、私たちは「ゆとり教育」の総合学習の中ですでに見ています。
総合学習の名の下、多くの小学校行われた「自然観察」。
メダカの生態を調べるといって川遊び。
秋の野山の観察といって公園散策。
自然の中で楽しく遊ぶ子どもたち。
表面的な観察。
それっぽくまとめられた発表会。
その結果、子ども達の科学的探究心、スキル、思考力が養われたのか?
「ノー」です。
西日本新聞の論説委員は、それも「子ども達の笑顔が輝いていたから、いい授業だった」と評価するのでしょうか。
問題は「自由度の高さ」にある
総合学習とアクティブ・ラーニングの共通点は「授業の自由度の高さ」です。
自由度が高いということは、その授業の設計者と参加者の能力に依存する割合が高いということ。
学校、教師にそれを丸投げしてしまえば、総合学習と同じ結果になることは必然です。
子ども達の中でも、本当に高いレベルで学べる子どもと、遊んで終わる子どもの格差が必ず生まれます。
学習者が学習内容にもスキル向上にも意識を向けず、アクティブな形をとることだけを学んでしまうとしたら、そのような能動性にあまり意味はない。必要なのは、複雑な問題に関心をもって多角的に検討したり、多様な他者とともに問題を解決するためのスキルを身につけたりすることだ。
── Yomiuri ONLINE 教育 「形だけの能動性を求めていないか…アクティブ・ラーニング」(2015.10.09)
これは読売新聞のオンライン版の連載された千葉大学教授、藤川大祐氏の警鐘的コラム。
新聞各社は学習素材として新聞が使ってもらえるかも!という期待のせいか、それともよく考えていないのか、これ以外に特に反対する意見を見かけません。
すでに事態は進み始めています。この流れが止まることはないでしょう。だとすると、頼れるのは親自身と私塾だけ。
実際、能動的学習の基礎作りに取り組んでいる学習塾がいくつも出てきています。
◆ザ・プロジェクト 変革に挑む(7) (日経新聞2015.08.19)
「日能研」は5人ほどの班を作り、討論やグループワークを通じて思考力を高める学習方式を取り入れる。
◆新指導要領にらむ 学習塾と競合(日経新聞2015.09.15)
「美しい無人島を守るための3つのルールを英語で考えましょう」──。
イーオンが14日、記者会見でj披露した小学5〜6年生用の新教材は従来版から大きく変わった。
子どもたちは自ら考え、意見を主張する力を付ける必要がある。プレゼンテーションをするときの態度や姿勢といったスキルも手ほどきする。
公教育に携わる先生方に、ここまで求められるのか?
求められないとしたら、読書力、論理力、情報収集力などを親の責任で学ばせなければならないということです。
2020年に向けて、親の責任がますます大きくなりそうです!