子育てにおける「成長をデザインする」という視点の重要性

昨日は、下の息子の保育園で「音楽発表会」がありました。
 
うちの息子が所属する「2歳児クラス」の子ども達もそれなりに整然と入場し、先生の指示にしたがって2曲合唱と合奏を披露してくれました。
 
クラスにはまだ3歳になっていない子もいます。
 
ようやく会話が成立し始めた頃の子ども達が、ここまでちゃんと指示通りに整然と行動できること、そして合奏や合唱をみんなでできることにちょっと感動します。
 
「整然と」という部分では、どうやらお世話になっている高取保育園食育にも、その秘密がありそうです。

[blogcard url=”https://www.kotonoba.jp/blog/dashi-power/”]

これは視察に訪れる保育園関係者が異口同音に「これが食育のパワーですね!」と感動なさるそうですよ。
 
 
そしてもう1つ。本題はこちら。
 
年が上がると、その音楽と行動のレベルが明らかに上がります。
  
2歳児クラスは「かわいい」演奏だったのが、3歳児クラスになると、俄然、演奏に力強さが生まれます。音楽らしさも上がります。
4歳児クラスになると、行動・動作が機敏になり、合奏で扱う楽器も増えますし、音楽の完成度も上がります。
5歳児クラス、年長さんはダイナミクス(強弱)の変化や曲想に応じたすばらしい演奏・合唱を披露してくれます。
 
ある意味、当たり前と言えば当たり前。
 
しかし、親が自分の力だけの自然体では、こういう成長を引き出すのは大変だろうなぁと思うわけです。
 
親というのは、「その時」「その場」の流れと感情で子どもを躾けがちです。しかも、他の子と比べたり、情報に煽られたりしながら、「もっともっと」と子どもを追い込んでいきがちですし。
 
それを冷静、的確に指導してくださる保育園の先生方って、本当にすごいお仕事をなさっているなと感心します。
 
先生達の中には「卒園時の成長デザイン」が明確にあって、しかも一人一人の子どもの発達段階に合わせて、焦らず優しく、でも厳しく指導してくださることが、行事を見るたびに伝わってきます。
 
年長組の子達を見ていたら、安心して任せていいんだって、心から思えます。
 
子ども自身が「すごいお兄ちゃん・お姉ちゃんたち」に憧れるパワーってのも大きいでしょうね。(^^*
 
 
親として「成長を急がないこと」と「長期の成長のデザインを俯瞰しておくこと」は大事だなとあらためて思います。
 
大人になった頃にどういう活躍をしていて欲しいか、そのために今、何ができていればいいのか。
 
そういう俯瞰する視野、成長デザインの視点がないと、「今」に焦りを感じます。
あれもこれもやらせたくなるかも知れません。
 
日本の教育って、「目先の成果」ばかりを見て、俯瞰するとか成長をデザインするという発想が抜け落ちている気がするんですね。親も教師も。
 
目の前の進学実績を上げるために、無理な挑戦をさせず「入れる大学(高校)」に入れさせるとか。
主体性とか自ら学ぶ力をぶち壊してでも、試験のための勉強を無理強いするとか。
 
高校の部活で体を壊して、一生そのスポーツをできない体になってしまったというエピソード。
日本の高校の吹奏楽は世界トップレベルだけど、プロになって世界レベルで活躍できる人は少ないという話。
一流の大学を出たけど、自ら問題を発見し解決する能力がない社会人の話とか。
 
そういえば、柔道でオリンピック3連覇を達成した野村忠宏選手が、まだなかなか思ったような成果が出ていなかった時代に、柔道家たる父から「いずれ世界の舞台で活躍する柔道家を目指すなら、今は焦らなくていい」というようなアドバイスをうけたという話も、これに通ずるところがありますね。
 
成果を焦らず、その子の可能性と育つ力を信じて、忍耐強く待てる強さ。
そして、ゴールをイメージして、そのプロセスを俯瞰するデザインを描く重要性。
 
息子の保育園の行事を微笑ましく眺めながら、そんなことを考えた一日でした。(^^*♪

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フォーカス・リーディング主宰者

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