2016年09月07日付の日経新聞に「英語民間テスト 入試に活用」という見出しの記事がありました。
なんでも、
東京を中心とした大学で「TOEFL」など民間の英語能力テストを入学試験に活用する動きが広がっている。
のだとか。
確かに、ここ数年、大学教育については「グローバル戦略」を標榜してきていますので、当然と言えば当然です。
そして、自前の入試でそれをやろうとすると大変ですから、民間試験を利用することは理に適ったことではあります。
現段階でいえば、民間試験を受験する学生は少数派ですから、それらの資格を持つ学生は当然、学問に対しても意欲的でしょうし。
記事の中では、すでに導入を決めている早稲田大学の教授が「話す」という発信能力を問われることについて、次のように指摘しています。
言語コミュニケーション能力の向上に意欲的な学生は、アクティブ・ラーニングの中心になる存在。授業の活性化にもつながる。
なるほど。一石二鳥というわけですよ。
ただ、記事の中ではこのシステムの課題について次のように指摘しています。
長崎県の高校生がIELTSを受験する場合、福岡市まで赴く必要がある。宿泊すれば出費は4万円近くに上る。木村教授は「補助金などで受験機会を設けてほしい」と訴える。
確かに、そういう「受験の機会」の問題もあります。
しかし、それ以前に英語力を高める機会そのものについても大きな格差が生まれそうです。
- 「話す」教育が、高校の授業でどのくらいのレベルまでおこなわれるのか。
- もし、そもそも英語能力を試す試験を受けるための授業がおこなわれないとしたら、英語教室に通わなければならないのか。
- もし、高校教育で「話す」ことを重視し始めるとしたら、大学(高等)教育で一番求められる英語を読み、書く能力が疎かにならないか。
- もし、高校教育で、今以上にレベルの高い授業をしなければならないとしたら、英語の先生の過重負担にいっそうの拍車をかけることにならないか。
- それを受け容れてがんばれる能力の高い先生と、あくまで公務員体質を守る先生とで差が生まれないか。
高いレベルの大学に行きたければ、「どこの高校に行けば、○○先生の授業を受けられる!」みたいなクチコミをチェックしないといけなくなるかも知れませんね。
#公立高校の場合、転勤がありますので、当てが外れることも多いでしょうけど…。
いや、同じ給料で負担に大きな差が出来てきたら、能力の高い先生は民間の英語教室に移ってしまうとか?
まぁ、学習指導要領でも「読む・書く・話す・聞く」の4技能を総合的に育成すべし、とあるわけですから、間違ったことではありません。
学校の先生方の努力不足、研究不足という面もあるでしょうしね。
ただ、「では、小中学校の英語教育は大丈夫なのか」とか「それ以前に言語能力は大丈夫なのか」とかいう問題まで絡みますので、結局のところ、親が高い意識でもって、子どもが乗っかっていくことになる教育制度を俯瞰的に眺めておかなければならないってことになりそうです。
とりあえず、世のお母様方。
子ども時代に「英会話」とかやってもほとんど意味がありませんので、まずは本を読ませて、言語能力を高めておきましょう。
その上で、「楽しむための英会話」ではなく、「英語教育のための英語学習」を小学校5,6年生くらいから考えてみてはいかがでしょうかね?