夏休みの定番的宿題の中でも「悩まされた思い出」部門、最高金賞を授与したいものといえば、私は断然「読書感想文」を挙げます。
毎年、なんとか帳尻を合わせて、かろうじて提出していたことを思い出します。
高校2年生の時には、芥川龍之介の『河童』を読んだのですが、何をどう書いていいのかさっぱり思い浮かばず、結局「この作品は何を伝えたかったのか、さっぱり分からなかった」という話を200文字ほど書き綴って提出したのも、今となっては(苦笑いのネタにできるという意味で)いい思い出です。
うちの息子が通う小学校は、幸いなことに読書感想文が「選択肢」の1つでしかなく、我が子の指導に悩んだ経験はありません。
しかし、これまで子ども速読講座や国語講座などで関わった子ども達の保護者の方からは、時々、読書感想文に関する相談をお受けすることがあります。
ですので、簡単にですが読書感想文について思うことをつらつらと書いてみようと思います。
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読書感想文は、書かせた方がいいのか?
まず、一番よく聞かれること。「書かせた方がいいの?」という相談。
これは、この校区の小学校が「感想文必須」じゃないから出てくる質問です。
お母さん達も自分が苦しんだからやらせたくないと思いながら、「でも、定番の宿題ってことは、何かやらせる価値があるのかしら?」なんて思うようで…。
必須じゃないなら書かせる必要はありません。というか、「書かせない方がいい」というレベルです。
だって、読書感想文を書くためのトレーニングを受けたことがないんですよね?
昔、民法のバラエティ番組で、料理をまったくしたことがない若い女性を連れてきて、「突然ですが、○○という料理を作ってみてください」とお題を与えて、そのできなさ加減を笑い飛ばすというものがありました。
まぁ、料理を作ったことがなく、手順とか作法を知らなければ、ここまで滑稽な事態になるのか、と驚くばかりでした。
読書感想文の作文も、これと同じレベルだと思ったらいいんです。
味わったことはあるけど、その材料も作る手順もまったく想像ができない状態。
ある意味で、これを無理強いするのは、教育の名を借りた立派ないじめ、虐待ですよ。
子どもがどれだけ精神的苦痛を受けているか想像しましょう。というか、自分の過去を思い出しましょうよ。(^-^;
なぜ学校は読書感想文を書かせたがるのか?
これについては、教師時代に国語の先生に聞いてみたことがありました。
あくまでその先生の私見ですが、ざっとこんな話だったと記憶しています。
- 1.夏休みを利用して、普段読まないようないい本を読ませたい。
- 2.宿題にしないと読まないが、読んだ証拠を出させないと宿題として評価不能。
- 3.読んだことを文章にしようと努力することで、思索のきっかけになる。
- 4.宿題として取り組む中で、実は光る才能を発揮する子も出てくる。
まぁ、「国語の宿題の定番だから」というお役所的なマインドが根っこにあるのではないかと思うのですが、表面的に出てくる「読書感想文を書かせる意義」というのは、こんなもんでしょうか。
しかし、教育というのは、「結果(成果物)」ではなく「子ども達が育つ過程」に価値があるわけで、感想文を書くための教育も指導もない状態で、さも当然のように「自由に書いていいよ」というのは、いささか乱暴に過ぎますよね。
確か、その先生、「自由に、どういう書き方をしてもいいんだよね」なんて語っていましたっけ。
でも、自由に書いていいから楽と考えるのは、すごくハイレベルな技術を持った人の思い上がった言い草ですよ。
音楽経験が未熟で、やっと楽器演奏ができるようになったというレベルの人をステージに上げて、「じゃ、あなたの番です。アドリブ演奏をどうぞ。」なんて言ったら?
その人、途方に暮れますよね?
なんで学校の先生は、そんな乱暴なことをするかなぁ・・・。
結局、
- なんのために、これをさせているのか。
- この課題を出すことは、子ども達にどんなメリットを与えうるのか。
- そのメリットを最大化するためには、どんな指導・教育が必要なのか。
- ベースとなるスキルとして何を学ばせ、感想文をしたためるスキルとして何を学ばせ、あるいは考えさせたらいいのか。
こういう「そもそも」という根本に立ち返った検証作業をしたことがなんいでしょうね。
ま、こういうのを「お役所仕事」って呼ぶわけですけど。
読書感想文をストレスなく書かせるために、何をすべきか?
そういうわけで、学校には「読書感想文を通じてどんなスキル、力を手に入れさせるか」というビジョンも目的も多分ありません。
ですから、親がそこを明確にして戦略を練るしかありません。
とりあえず、無事に夏休みの宿題を片付けられればいいのか?
これを機に、何か将来につながる力を身につけさせるのか?
そんな「目の前のこと」を目的とするのか、「ちょっと先の将来のこと」を目的とするのか。
無事に夏休みを終える!⇒フォーマットを学ぼう
「自由に書いていい」というのが、子どもにとって一番苦痛です。
何でも「型」を学んだ上で、慣れてきてから徐々に崩していくというのが、何かのスキルを学ぶ上で王道です。
いわゆる守破離(しゅはり)ですね。
読書感想文の解説書を買ってきて、そこに書かれているパターンで書かせるのが一番簡単です。
私のお薦めはこちら。
☆ドラえもんの国語おもしろ攻略 読書感想文が書ける
とにかく気楽に読めますし、子どもが悩むであろう「悩み、それを解決するステップ」をのび太くんと一緒に学ぶことができます。
ちゃんと、フォーマットが用意されていますので、のび太くんの思考を、自分の本に引きつけて書いていけばOKです。
他にも、夏休みになると「読書感想文の書き方講座」みたいな親子講座も各地で開催されています。
「親子で」というのがみそです。(笑)
子どもだけだとビジネスとして旨みが少ないし、クチコミが生まれませんし。
それに「子どもの宿題の監督」というのは、親にとってストレス。しかも、自分も苦しまされた経験がありますから、親御さんの興味を引きやすいってのもありそうです。
本を読むよりもお金はかかりますが、確かに楽ですよね。
受け身で参加していれば、だいたい何とかなりそうです。
ちょっと先の未来につなごう!⇒文章作法、作文スキルを学ぼう
ただ、この「フォーマットを学ぶ」っていうのは「教育」という視点からすると、非常に低次元な対処療法です。
「虫歯になったから治療する」みたいに「困っているから、形だけ学ぶ」っていうやつ。
学ぶ目的は「夏の終わりに困らないため」でしかありません。
本当の教育を考えるなら、「虫歯にならない食習慣・生活習慣を身につけさせる」こと、「虫歯にならないブラッシングスキルをマスターする」ことが重要ですよね?
せっかくだから読書感想文を書く作業を1つの「ゴール」として、国語力とか思考力を高める学習にチャレンジしてはどうでしょう?
- 分析的、思索的に本を深く読むスキル
- 何となく感じていること(そのまま流してしまっていること)を拾い上げ、思考の輪郭を浮かび上がらせ、言葉で整理していくスキル
- 「ブックレポート(本の紹介文)」、「説明文」など、論理的に意見を展開するスキル(小論文スキル)
そんなことを学べたら、それって生涯にわたって役立つスキルになるはずなんですよね。
ま、今年の夏休みには間に合いそうにありませんけど!(苦笑)
それはフォーマットを買ってきて折り合いをつけて、ということで。
ということで、ことのばでは来年の夏休みに向けて、継続的に作文指導をして行く予定です。