本を読むと「頭が良くなる」とか、「判断力が高まる」、「判断スピードが上がる」といった効果が語られることがあります。
それは読書のどういう効能が働いているのかということについて、『脳を創る読書』の著者、酒井邦嘉氏は次の3つを挙げています。
- 1.言葉の意味を補う「想像力」が鍛えられる
- 2.自分の言葉で考える力」が身に付く
- 3.読んで味わった経験を脳に刻むことができる
思考力に変化がなかったとしても、単純に、知らないこと、自分が経験したことのないことを知るだけでも、実際、判断スピードが上がるでしょう。
しかし、それは言ってみれば借り物の知性に過ぎません。
読み知らないことについては相変わらず判断が遅く、正しい判断ができない可能性が残っているわけですから。
そして、知っていることで対処できるような問題というのは、人生の中で、それほど多くなく、大きなものでもありませんよね。
そこで、酒井氏は上記の3つの要素が相互に働いてこそ、脳が成長すると語っています。
とりわけ「想像力」は、書籍が情報として量的に不足しているメディアであるからこそ鍛えられるものと指摘しています。
確かに、本を読むという作業は、単に「言葉通りに理解する」だけでは、著者の真意を十分にくみ取れないことが多いものです。
著者の生きた時代、著者の生きている世界、著者の体験、思想…そんなものが言葉の1つ1つ、あるいは行間に込められています。
そこをいかにくみ取れるかが、読みの深さを決めます。
これは精緻化推論と呼ばれ、言外の世界を想像力と共感力で補う作業です。
もちろん、書かれている言葉と言葉のつながりを上手にひもとき、組み立てながら読み進めることも必要です。
こちらは橋渡し推論と呼ばれ、幼少期からの読書体験である程度、自然と養われてきます。
いずれにせよ、読書には「推論」という作業が必ず含まれており、それが「頭を良くする」上で大きなカギを握っています
逆に言えば、この推論をおこなわず、表面的な言葉のつながりをうけとめるだけで分かったつもりになっている限り、頭を働かせる必要はなく、頭が良くなることはないと言えそうです。
読みながら常に、「なぜ?」「どういうこと?」という著者へのツッコミを入れ続けること。
著者が語る内容を、自分の体験、自分の言葉に置き換えながら整理していくこと。
そういう作業を「著者と対話する」と呼ぶわけですが、それがあって初めて、私たちは読書を通じて賢くなることができるわけです。
もちろん、それだけでは足りません。
読んだ内容をしっかりと吸収することを考えれば、ミクロの文・文章読解とマクロの構造把握をかみ合わせる作業、それを他者でも分かるように要点を整理して出力する作業なども必要になります。
軽く整理すると、本を読んで頭を良くしたいと思ったら…
- 丁寧に読み解く作業
- 読みながら「なぜ?」「どういうこと?」とツッコミを入れ、それに対して自分で答えを出す作業
- 書かれていることを自分の言葉で説明する作業
- 全体像と要点(ポイント)を整理して出力する作業
- 書かれていることと、著者が下敷きにしているであろう社会・時代的文脈、生活・職業あるいは読書体験の文脈を推測し、解釈しなおす作業
こういう作業をしなければならないというわけです。
違う言葉で語るなら、読みながら「?」(問い)を生み出すような読書ですね。
その対極が、読書の中で「!」(分かった!)を手に入れた気分に溺れる読書。
本を読む力、考える力が低い人は、自分が読めていないことに気づきませんし、何を、どう考えていいかも分かりません。
ですから、残念ながら自分で読んで分かると思えるレベルの本を自分一人で読んでいても、頭が良くなる可能性は低いということです。
頭を良くしたい!と思ってがむしゃらに多読に走るのは、その愚の最たるものかも知れませんね。
ショウペンハウエル著『読書について』で語られている箴言、
ほとんどまる一日を多読に費やす人間は、
次第に自分でものを考える力を失って行く。
これは、まさにそんな話なんですね。
読書に何を求めるのかによって読むものも、読み方も変わります。
もし、あなたが(あるいはお子さんに)頭が良くなることを期待して本を読む(読ませる)なら、ぜひ、速くたくさん読むことよりも、じっくり考えながら読むことを大事にしてくださいね。