「読書力」の定義がカオス過ぎて悩む…

世界的には「読書力」というものを、学力の中の重要な要素と考えているようで、様々な評価方法、基準が用意されています。
 
「読書」というものがどういう営みで、「読書力」がどういうスキル・力なのか?
その部分をあやふやにしていると、効果測定の「規準」が作れません。規準がなければ「実力を測る」こともできませんし、それにそった学力アップも図れません。
 
「そもそも読書とは?」という問題をおろそかにしたままでは、日本の教育はまずいのではないかと思うわけです。

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日本で「読書力」はどうとらえられているか?

日本の教育現場でも「読書は大事!」というかけ声は耳に届きますが、「読書とはどういう営みか?」「読書力とはどういう力か?」ということについて、明確な答えを目にすることはありません。
  
文科省による文化審議会答申「これからの時代に求められる国語力について」の中でも、

  • (読書は)「考える力」「感じる力」「想像する力」「表す力」のいずれにも関連(している)
  • (国語力を高める上で)読書が極めて重要(なことは明らか)

としていますが、肝心の読書力が何か明確な定義を示していません。
(別の資料「読解力向上プログラム」においても読書の重要性を語りつつも、やはり読書力に関する明確な定義は示されていません。)
 
学者の記した書籍では、明治大学教授齋藤孝先生が、著書『読書力』(岩波新書)において、次のような表現で読書力というものの輪郭を示しています。

私が設定する「読書力がある」ラインとは、「文庫百冊・新書五十冊を読んだ」というものだ。「力」を「経験」という観点から捉えた規準だ。(中略)
私の基準としては、本を読んだというのは、まず「要約が言える」ということだ。

また、それに続く箇所で「読書力検定」を作るならという話を展開し、

全員に同じ新書数冊を渡し、三十分程度で要点に線を引いてもらう。(中略)
本一冊のうちの重要な箇所に線を引くことができるというところまでが読書力だとしておく…

と語っています。
最初の部分では「要約が言える」としつつ、それでは読書力を越えた力が問われることになるので、要点を短時間で適切にとらえる力と軌道修正しているわけです。
 
いずれにせよ、齋藤氏は読書力を「書物における著者の主張を的確にとらえる力」ととらえ、その前提として、読書の目的を「著者の主張を正しく理解すること」と固定的にとらえているわけです。
 
ともあれ、齋藤孝先生は「読書力とは」という定義を明確にし、それに沿ったやり方で、書籍でも大学のゼミでも「読書力を高める」プログラムを実践なさっています。
 
翻って、日本の教育界には「読書力は重要だ」という認識と「だいたい、こんな領域の力」というフレームだけがあって、その具体的な中身はというとカオスでつかみどころのない状態になっているのが現実のようです。

国際的な学力診断テストPIRLSにおける定義

2001年からIEA(国際教育到達度評価学会)がおこなっている「読書力」に関する調査があります。
PIRLS(Progress in International Reading Literacy Study)という5年ごとにおこなわれる国際的な調査ですが、2011年には55カ国が参加しています。(日本は不参加)
 
このPRILSでは読書力について、このように明確に定義しています。(新潟大学教授、足立幸子先生の論文より)

社会から要求されている、あるいは自分で価値があると思う形で書かれた言語を理解したり使用したりする能力。年少の読者たちは、さまざまなテクストから意味を構成すること(construct meaning)ができる。学習するために、また読者のコミュニティーに参加するために、そして楽しみのために読む。

ちょっと日本語としてちぐはぐですが、単純に「本を文脈に沿って理解する」ということではなく、様々な本などを読みながら、主体的に意味・理解を構築していく力と、能動的力としてとらえていることが分かります。

こうなると、またさらに広い力が求められることになりますね。
そして、この「様々な資料を読みながら、主体的に情報を収集整理する力」が、日本の子どもは苦手だということが文科省の「情報活用能力調査」から分かっています。
同じ文脈で語りうる問題だと考えていいのかも知れません。

また、齋藤孝先生の定義と違い、読書の目的を「読者の中(内側)」に求めていることも分かります。
 
さらにPIRLSに参加する国々では、すべてではありませんが、それぞれに「読書力」を評価する仕組みやツール(テストなど)を用意しており、教育として読書力を育成していくことを明確にしているところも多いようです。

読書力の定義がないことの問題点

ちなみに、ことのばでは読書力を次の3つの要素の複合的なスキルと捉えています。

  • 言葉のつながりを分析的にとらえるミクロ視点の読解力。
  • 大きなストーリー展開を把握するマクロ視点の読解力。
  • 根拠をもって自分の意見や感想を語ることができるコメント力。

ことのばは「読書」の指導をする教室ですので、読書力の定義を明確にしています。
 
読書という曖昧かつ総体としてとらえられがちな行為を、小さなパーツに分解しているのです。そうすることで、ではこの力を磨くには何をしたらいいか?という発想が生まれてきます。
 
逆にいえば、定義がないということは、そこを分析的にとらえようとしてこなかったということであり、またそれを磨く方法論が明確に打ち出せないということになります。

読書力を再定義し、読書力向上のためのプログラム構築を!

日本の学校現場では「読書」というものを、昼休みや放課後など「課外」的な子どもの自主的営みとして放置してきた歴史があります。
 
その割には「読書は大事」といって、夏休みになると突然、何の指導もなく「感想文を書いてこい」というヘビーな宿題が出ます。
 
読書感想文には読書感想文のフォーマットがあってもいいはずなのですが、実は「感想文」の目的や意味づけが明確でないために、それもありません。
書店には「読書感想文の書き方」の本は無数にありますが、どれも好き勝手に語っています。
 
これは「読書感想文を何のために書かせるのか」という目的がはっきりしていないということも、大きく影響していると感じます。
 
読書も同じ構造ですね。
 
ここを改善することは、日本の学力や、ひいては低迷する経済力(国力)を高めていくことに、大きくつながっていくはずです。
 
私ももう少し「読書」の再定義、「読書力」の再定義をおこない、その向上のためにどんなプログラムがありうるか研究していきたいと思います。

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この記事を書いた人

フォーカス・リーディング主宰者

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