ニュース「照葉小中 連携に効果」から考える「学校と地域、そして家庭」

2015.11.21付けの西日本新聞に「照葉小中 連携に効果」とする記事が掲載されました。
 
単なるローカルニュースなのですが、その内容が「学校教育」とそれをとりまく地域、家庭(親)のことを考えさせられる内容でしたので、元教師の主観的な意見を交えながら解説してみたいと思います。

照葉小中学校、初の卒業生はどういう進学実績を残す?

福岡市東区のアイランドシティにある唯一の市立小中学校、照葉小中学校
2008年に開校して、ようやく9年目という学校ですが、開校当初から公立の「小中一貫教育」学校(正確には施設一体型小中連携校)として注目を集めてきました。
  
今回の記事では「学力」についての言及はなく、あくまで生徒指導上の話にフォーカスしています。
大学進学に強いと言われる「中高一貫」ではなく、あくまで「小中」の一貫校。
来年の春が初の高校受験&卒業式ですが、「進学」という意味でもそれなりに高い実績を出すのではないかと思います。
 
これは「みんなが高い偏差値の高校に合格する」ことを意味しません。
 
先生達は普通の公立小中の教師であって、特別な研究者ではありませんし、慣例でいえば数年で転勤になります。そういう中で特別な教育技法が構築され、受け継がれるとは考えにくいからです。(むしろ、今、その構築の真っ最中ですし。)
 
有名私立であれば、そのような先生が必ずおり、また優秀な卒業生を教師として迎えることが可能ですが。
 
また、私立であれば小中9年間のカリキュラムを8年間に圧縮した上で、最後の1年を応用的、実践的な学習や受験指導に充てることも可能ですが、公立学校でそれは望めません。

それでも、「高い実績を出すのではないか」、つまり多くの子ども達が、自身も親も納得のいく高校に進学できるのではないかと考える理由がいくつかあります。

先生、学校のこと

まず、設立準備の段階から希望して、あるいは教育委員会から実績を買われて関わってきた、志の高い、そして「自分もこの学校の生みの親の一人」と自負できる先生がいること。
 
先生が「この学校の教育に、私は責任を持つ」と思うことは、何よりも重要です。
公立の学校って、最短3年で異動しますからね。「この学校をよくしたい」と思う気持ちが、教師の中に育たなかったり、成就できなかったりすることがよくあるんです。
 
また、新聞記事に「中1ギャップ」がないとあります。
これは生徒にとっても、教師にとっても非常にいいことです。
 
中学校の先生が音楽など技能教科を中心に、小学校の授業で指導なさっているとのこと。知っている先生が何人もいるというだけで、生徒達の心理的なストレスは相当軽減されるでしょうね。
 
小中学校の先生が職員室を共有し、行事で連携し、密に連絡を取り合う関係がある── これは中学校で働いた経験(といっても、たった2年ですが)を持つ身として、教育上、大きなアドバンテージになりうるものと考えています。

親のこと

そして何より「親」。
 
アイランドシティという、生活だけを考えるなら不便極まりない新興住宅地。
敢えてそこで子育てをしようと考える親御さんです。しかも「小中連携」を知った上で、そこに期待して引っ越している方も多いでしょう。
 
経済力の面でも(「富裕層」はタワーの上層階の方々だけかも知れませんが)それなりにしっかりとした経済的基盤をお持ちの方が多いことは間違いありません。
 
統計的にも、親の経済力と子どもの学力がある程度、比例関係にあることは過去に書いたとおりです。

私が「高い実績を出すだろう」と考えるのは、「親」と「先生」の教育への意識の高さ、文化水準の高さを想像するからです。
 
さらにいえば、中学3年生は2学級、80人程度しかいませんからね。
進路指導主事を中心とした指導体制が個別にしっかりと行き届くはずです。
 
これほど恵まれた環境が整った学校は、そうあるものではありません。
そして照葉の歴史上も。
 
初年度、どういう進学実績を上げるのか、先生達もおそらくプレッシャーを感じていらっしゃることと思いますが、やはり注目したいところです。

学力面以外の要素について

新聞記事には、校長先生のこんな言葉が紹介されています。

小学生はあんな中学生になりたい、とあこがれ、中学生は年下への思いやりと責任感が育まれる。

これは昭和の時代であれば子供会や育成会などの地域コミュニティがになっていた領域です。
 
しかし、仕事の関係で地縁は切れがちで、子ども会の加入率が6割を切り(※)、その機能を果たさなくなってきた現代。もし、その機能を学校が担えるとしたら、それは非常に価値があることでしょう。
「福岡市の子ども会に関する実態調査について」(pdf)より
 
この「生徒どうしの人間関係」の面でも、中学校に上がるときの不安がないとしたら、ちょっと心の弱い生徒にとってどれだけの救いになるか、そのメリットは計り知れません。

地域コミュニティのこと

親たちも全員が「この町に初めて住むことになった」人たちです。
これは意外とポイントが高いのではないかと思います。
 
「この町を作るのは自分たち」という自負心と、「みんな同じ境遇」という連帯意識は、学校を中心とした大きなコミュニティ作りにプラスの作用をもたらすものと思います。
 
子どもと一緒に地域の行事に参加する。
地域の親仲間と意見交流をしながら、学校のことを「わがこと」として考え、能動的に参加する。
 
学校でもつながりのある年上の子が、地域の中でも年下の子をいたわり、また、いいところを見せようと格好つける。がんばる。
小さな子達は、それに親しみを覚え、あこがれを覚える。
 
そんな昔なら当然のようにあった風景がここにあるとしたら、それはちょっとうらやましいことですね。

経験上予想できる問題

「意識高い系」ペアレンツ問題

親が「教育に熱心な態度」をとることは基本的にいいことです。
ですが、時としてこれがネガティブに作用することがあります。
 
1つには「うちの子さえよければ」と思ってしまう親御さんは、どうしても学校教育の場ですらイニシアチブを取ろうとしがちだということ。
具体的にいえば、学校の教育方針、先生の指導方法に「アドバイス」をしたがったり、自分の思うものと違う(あるいは違う結果が出た)場合に「クレーム」に近い意見を言いがちだったりすることです。
 
ことあるごとに説教のような電話を入れる。
「担任が悪い。担任を変えろ!」と校長に迫る。
長時間の説教電話をかけてくる。
 
本人は「我が子のため」と思って真剣なだけなのですが、先生にとっては「ありがた迷惑」なものであることも多いもの。
 
教育という大きな役割を担った学校という組織、集団の中で一番大切なことは「先生に対する敬意」だと、私は考えます。
 
教育的な言説というのは、「誰が言ったか」によって、相手に染みこんでいく度合いが変わります。
 
大好きな先生、尊敬する先生がいう言葉は、やはり生徒の人生に大きな影響を与えます。
 
絶対服従を!ということではありませんが、まずは「先生ありがとう」というスタンスでもって先生と接し、子どもに語りかけることが重要なんです。
 
そのためには、どういう事情があれ「先生と学校」を変えようがないパラメータとして認識すること。ある意味で「自分たちのスタンスを変えるしかない」とあきらめること、ですね。
 
親が先生に影響を与えられると思っているからクレームを言います。
先生が悪ければ変えさせればいいとか、文句だけを言って縁を切ればいい(学力は塾でなんとかする)とか、そんなスタンスだから、親が平気で先生の悪口を子どもに言います。
 
それでは教育の前提が成立しないわけですよ。
 
親としては「文句を言って満足」かも知れませんが、そのために先生の言葉が子どもに伝わらなくなったり、教室環境が悪くなってしまったりしたら、結局は子どもにとって大きなデメリットを生むことになるんです。そのことを親は理解しておかなければなりません。
 
親として納得いく先生であれ、そうでない先生であれ、この学校、この先生とともに我が子は育てるしかないと覚悟すること。その前提で、その先生・学校の指導が最高の成果に結びつくように、子どもの学習と生活を支援して初めて、学校教育は首尾よくいくものなのです。
 
そこがどうなのかな、と。

通過儀礼的「最上級生なし」問題

もう1つ。ひょっとすると小さなことかも知れませんし、運営上どうにでもなることなのかも知れませんが。
 
小学校の中で6年生が自然と持つ「上級生としての自覚」とか「卒業生としての自覚」という心理、あるいは「小学校を卒業する」という独特の自立感。
 
これはどう子ども達に影響を与えるのか、あるいは学校はどうそれに替わるものを用意するのでしょうか。
ちょっと興味があります。
 
たぶん、それを「当然」と思っているから「えっ?ないの?」と違和感を覚えるだけで、それが「ないという前提」であれば大きな問題はないものと思います。
 
ただなにせ新しい学校。
 
「では、それをどうカバーするのか、上級生という意識を育てるのか」というノウハウがまったくない、あるいはノウハウはあっても文化というか言語化されない暗黙知的な領域が足りないということはあるでしょう。
 
それを理解した上で、親や先生がどう子どもを育てるのか、ある程度、広い視野、長期展望で子育てを考えておかなければならないでしょうね。

総括というか、子育て論としてのまとめ

あれこれ書いてみましたが、照葉小中学校は確かに条件に恵まれています。
 
「学校としての実績」云々はともかくとして、そこで過ごす子ども達が将来「いい中学校時代だった」と思い出せるような中学時代を過ごし、しかも進路上も満足のいく学校選択、生き方の選択ができるとしたら、それは本当に素晴らしいことです。
 
ただ、これは照葉に住まないと実現できないことではありません。
 
『ヤバい経済学』(スティーヴン・D・レヴィット&スティーヴン・J・ダブナー著)「照葉に住んだから成績が上がる」のではないんですよ。
「教育環境のよいところに引っ越す(住む)」ことが「学校の成績と相関していない」ということが、アメリカの教育研究でもはっきりしています。(『ヤバい経済学』P.209より)
 
あくまで「照葉に住む」という選択をした親の「子どもに関わる親の姿勢」の問題です。
 
どんな地域に住んでいたって、どんなに評判のいい学校に通わせたって、絶対に何かしらの問題は起こりますし、ちょっとしたきっかけで学校はよくなったり悪くなったりするものです。
 
でも、絶対に変わらないもの、自分の意志でコントロールできる要素が1つだけあります。
 
それは「親子関係」です。
 
親のスタンスがしっかりとしていれば、学校がどんな学校でも、担任がどういう先生でも何も影響ありません。
先生・学校・友達の持っている「素晴らしい価値」だけを吸収できる文化、親子の会話を作るだけで、むしろどんな環境でも素晴らしい学校生活を送ることが可能です。(逃げ出すことだって可能ですし。)
 
照葉にあって、自分の子どもの学校にない部分は、「どうしたら親が補えるだろう?」そんなふうに考えてみるといいですね。
 
西日本新聞を購読している方は、ぜひ11.21の朝刊26面をあらためて読み直してみながら、子育てのデザインを描いてみてはいかがでしょうか?(^^*♪

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