「そもそも勉強って何? 何のためにするの?」問題

ここ数日、「勉強のモチベーション」について書いてみました。

しかし、むかーしのことですが、「そもそも勉強をする意味が分かりません」という子(ら)と向かい合う体験がございまして。
 
 
勉強がいやで、反発してる風情の子であれば、うまく思考に刺激をぶちこんでやれば、意外とすんなりいくのですが…

 
「僕は勉強が嫌いだし、勉強する意味も理解できない。●●で生きていくからいい。」
 
そんな固い決意をした子には、親の想いはどうあれ「そうか、それじゃ、その自分の意志を大事にできる強さを持って生きて行けよ」としか言えません。
 
別に学歴がその人の価値を決めるわけではありませんし。
学歴ってのは、関所をパスするための手形くらいの意味しかありませんからね。
 
関所を通過した後に、どういう生き方ができるかは、結局の所、その人のサバイバル能力にかかっています。
 
ただ、関所を通過しない旅路というのは、本当に大変な道のりが待っているわけで、大人の判断として「その後の苦労に比べれば勉強なんて大した苦労じゃないんだよ」なんて思ってしまうわけです。
 
「先を知っている人」は、ね。
 
でも、「勉強する意味も理解できない」と、やりもしないで逃げ口上でうそぶく若者は、「その先」を知りません。
 
自分の才能、芸で生きている人の中には、学歴を中卒までしか持たない人もいらっしゃいますから、ひょっとするとそういう人に救いを見いだしているのかも知れませんね。
 
もちろん、学歴に頼らずに、持ち前のサバイバル能力でたくましく生きて行っている人はいっぱいいます。
 
私の友人にも中卒で、すごく活躍している人が3人ですがいます。
本当にたくましいし、頭がいいし、信頼できる人柄です。
 
でも、その人達がどれだけ苦しみ、それを乗り越えるために勉強してきたか私は知っています。
 
だから、やっぱり、そういう子に言うんです。
 
「でもね。やっぱり勉強はしておきなさい。」って。
 
 
勉強は確かに楽しくないかも知れない。
 
「こんなこと、何の役に立つんだ?」なんて思うかも知れない。
 
でも、社会という荒波を乗り越えていくのには、やっぱり知識も必要なんだよね。
 
「読書でいくらでも学べる」といっても、読書によって本から吸収する力って、実はすごい能力なんだ。
国語的素養、数学的素養、科学的素養、社会的教養・・・そんなものの集大成なんだ。
 
そういうのって、学校で学んだ方が絶対楽なんだよ。
 
 
「いや、こんなおもしろくないこと、やってられない」なんて思うかも知れない。
 
「いやいや、例えば化学を学んでいれば、○○で役に立つだろ?」
なんてつまらないことを、したり顔で言ったりしないから安心して欲しい。
 
勉強が楽しくないという君の直感はあながち間違ってないと思う。
だって、君のやっていることは「生きる」ことにつながってない。「死んだ知識」だから。
 
死んだ知識には賞味期限がある。
 
そういう知識自体にも確かに価値がないことはないんだけど、それを受験が終わった瞬間に忘れてしまったとしても問題ない。
どうせ大人になれば大半は忘れるんだし、憶えていたとしても価値がなくなることもあるし。
というか、そもそもそんな知識は、クイズ番組を家族で見ている時とか、飲み屋のくだらない話をしている時とかに、「おれ、知ってるよ」と、したり顔で自慢をするときぐらいしか使えないわけだし。
 
でも、死んだ知識を上手に料理できるようになると、それが永遠の命を持つ知恵に変わることがある。
 
あるいは、それを学ぶプロセスで、自分の苦手なことを克服していく方法とか意志力とか、効果的な学び方、自分なりの勝利の方程式みたいなものを体得できたらどうだろう?
 
世の中はどんどん変わっていくんだから。
賞味期限の切れた知識を容赦なく過去のものとして忘れ去ってもいい。
 
でも、自分を変えていく力、サバイバルする力を手に入れられるような学びは、きっと喜びになるはずだ。
だって、生きていくことそのものだから。
 
 
だから僕は常々言ってるんだ。
 
「勉強の結果にすぎない知識だけ手に入れて、テストで良い点を取れてもしょーがないよ」って。
それは本当の学力じゃない。学力のおりのようなものに過ぎないんだ。
 
単なる結果に過ぎないことに一喜一憂する必要はない。
ただ、分からないことを分かろうとするチャレンジ、できないことをできるようになるチャレンジ、昨日の自分を乗り越えた自分と出会うチャレンジの中にだけ喜びがある。価値がある。

経済的に保護されている時代に、そんなサバイバル能力を鍛えてみたらどうだろう?
 
「もう勉強は十分です。後は自分で何とかします」っていうのが卒業するってことだし、勉強する価値なんだ。
 
 
それにさ、
 
「勉強なんておもしろくない。
 自分は自分の人生を歩みたい」って思うんだよね?
 
だったら、その第一歩として、自分の責任で勉強をおもしろくしてみたらどうだろう?
 
その上で、その苦しさを乗り越えた体験をした上で、それでも「この程度のサバイバル能力は、学校じゃなくても手に入れられる」と思えれば勉強を義務教育で終える決断はあって良いと思う。
 
僕はそんな君の決断を祝福しよう。
 
勉強って、僕はそんなものだと思っている。
 
 
最後にもう1つだけ、伝えておこうと思う。
 
今まで君が過ごした時間が、今の君を創ったように、今から君が過ごす時間が、未来の君を創るんだ。
 
だから、未来の君が悔し涙を流さないで済むように、未来の君の可能性を、今のちっぽけなプライドと安易な言い訳で狭めてしまわないように、それだけ考えてごらん。
 
今の君の苦しさやフラストレーションを乗り越えるための努力と挑戦をしてご覧よ。
 
それが多分、未来の自分を創るってことで、それが自分の人生を生きるってことだから。
 
そして、それこそが「勉強する」ってことなんだ。

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