3.11から一夜明けて思うこと

日本人、いや世界中の人が
心を痛めた3.11から早5年。
 
あの日のことを、
なんだか遠い日のごとく
感じている自分に気づきます。
 
あの時、その2週間後に迫っていた
東京での集中講座を中止せざるを得なくなり、
あの年の売り上げの15%ほどが消えました。
 
なんと言うんでしょうか。
 
テレビやディスプレイの向こう側に、
もっともっと悲惨で壮絶な体験をした人が
いっぱいいるのに、
たかが売り上げが消えたくらいで
青ざめている自分に気づき、
本当に自分が嫌になりました。
 
そして、そんな自分を乗り越えるために
自分に誓ったことがありました。
 
3.11を自分の命日にしよう。
 
今、あるこの命を、あらためて
「頂き物」としてとらえなおして、
自分の命の使い方を真剣に考えよう。
 
それまで、自分の人生、運命をどう切り開くか、
そればかりを考えていましたが、
完全に考え方を変えよう。
 
ヴィクトール・フランクルの語る
この言葉のように考えよう、と。

そもそも我々が人生の意味を問うてはいけません。
我々は人生に問われている立場であり
我々が人生の答えを出さなければならないのです。

 
 
そして、あれから5年。
 
未だ心晴れぬ日々を過ごしている人達の存在、
肉親を失い、心の支え、生活の支えを失って、
つらい日々を送っている人達の存在を、
あらためてニュースの中で、目の当たりにしました。
 
なんだろう。
 
あのとき、人の痛みに共感して、
生き方を変えようと思ったのにも関わらず、
いつの間にか、
その人達の姿が見えないことをいいことに、
3.11以前と何ら変わりない生活に甘んじている自分、
寄付すらも忘れている自分に気がつきました。
 
自分の命日とまで考えた、
あの想いは何だったのか。
 
もう1度よく考えて、
生き方を変えていこう。
あらためて、そう思います。
 
宮沢賢治ほどには、
きまじめでも、思い詰めた重さも
ないかも知れません。
 
しかし、私の視野の外に、
どこかで苦しんでいる人が
確かにいるという事実を忘れずに
過ごしたいと思います。

世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない。
 
── 宮沢賢治

ひとまず、今は自分の使命にまっすぐに
進むべく、教室の整備とカリキュラム構築に
邁進しようと思います。

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